没後五十年を悼みながら

  いにしえは神にせまりてこの山に
         上りしかども遊びせなくに

   この山に寂しくたてる吾が歌碑よ
          月あかき夜をわれはおもはむ
                 歌集「寒雲」昭和十四年七月詠

古く万葉の時代から「魂」は山へ帰ると言う。 それは日の出の方に向かひて農地を切り拓いて来た者達の歴史を物語っているらしい。 自然に挑み、勝ろうする驕り。愚かさに気づけず、正当を迷信し、東夷を騙し略奪し姦し殺す。而してすさんでいく言霊を安んじる為に、ふたたびふるさとの山を目指す。 いくたの季節をめぐり、 あまたの屍を踏み越えて。

  ざんげ坂くだりくだりて汗にあゆ
        友のうしろに吾は黙して
              歌集「寒雲」より

    くやしまん言の絶えたり爐のなかに
            炎もあそぶ冬のゆふぐれ
              歌集「小園」より

日を生む山のブナの林に陽が射す様を「東」と言う。 日の沈む西の方を背にし、風に吹かれて渦巻く雲を見ていた。彷徨ふ旅の空しさを痛感し、日の出る方を向きながら日出ずる國の民草、彼は天災・人災・戦渦の世を踏み越えて、人の死を悼む心を負う。

   ふかぶかと雪とざしたるこの町に
      思ひ出ししごと「永霊」かへる

     オリーブのあぶらの如き悲しみを
        彼の使徒も常に持ちてゐたりや
              歌集「白き山」より

「選ばれし者」とは言い難い、だが 「希有の人」。 その名を許される者は、少なくともいまにおいてもいない。

 だから、彼もまた許されはしない。自ら赦すこともない。善悪の葛藤ではなく、その葛藤こそ善ではないのか。葛藤すらない文学は嘘っぱち。鬼も邪も呑み込んだ、乱れる渦の世の泥臭い「生」が「死」からよみがえる。 その先の安堵にふりさきて初めて、彼はただ、山を仰ぎ向かふ。

 そして、渦旋に堪える魂は、ただ、生真面目に山を仰ぐ。
              荒ぶる魂を鎮めるように、祈るように…
         ふるさとの山と黙して向きあふ…

    ひむがしに直にい向ふ岡に上り
           蔵王の山を目守りて下る

      たたかいにやぶれし國の山川を
               ふりさく人に知らゆな
                    歌集「小園」より



自らの歌碑と向き合う茂吉の姿。
まさにふるさとの象徴に魂がい向かうようです。

写真 故 高橋重男氏 昭和14年7月6日

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